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広島の中国人強制連行・西松安野和解10周年記念行事に参加

 

 101920日、広島の中国人強制連行・西松安野和解10周年記念行事に参加しました。

 

 19()は広島弁護士会館で『改めて歴史問題の和解を考える』集会です。100人近い参加視野で、若い人もいました。

 

 第一部は、①内田正敏弁護人・西松安野友好基金委員長の講演で、2000年の大館市花岡和解(鹿島)2009年広島安野和解(西松)2016年三菱マテリアル和解(三菱鉱業)と実現できたのは、鹿島に「国策ではあるが、企業にも責任がある(法的には無いが、道義的には歴史的責任があるとの立場)」と認めさせて切り口を切り開いたこと、次に安野で高裁判決を最高裁が逆転棄却したが、付言で「自発的に解決するのが望まれる」と述べた為に、企業に和解に踏み出す呼び水をもたらした。

 

 2016年三菱マテリアル和解では、マスコミはこれまでと違い、産経と読売が「国家間の関係が覆る和解」と猛反発の論調に変わった、安倍政権の影響かと思う。今後も和解行事を続けることで、未来の関係を作り出すことが出来ると思うと提起。

 

②事務局長の川原洋子さんから、パワーポイントを使って、写真で振り返る和解事業を紹介しました。

 

③遺族2人の挨拶がありました。(シィ)(リィ)(ツェン)(許法奎の息子)さんと(シャン)(ツィ)(チン)(肖吉作の孫娘)さんです。二人とも父や祖父が中国に帰っても大変な生活だったことと、日本人への感謝を感じるように変わってきたことを言われました。

 

 第二部では、外村 大(東大大学院教授)さんから「和解と戦後日本の変容」の講演がありました。在日の歴史や植民地期の朝鮮、朝鮮人強制連行の研究者です。

 

 終わりに、質疑王都のなかで、川原事務局長が「安野での朝鮮人強制徴用は800人くらいあったと言われていますが、掘り起しの調査ができていないので判らないのが実情です」と述べたのが頭に残ります。

 

 足立修一代表世話人からのまとめでは、「中国とは和解するが、朝鮮とはやらないという安倍政治の姿勢を変えなくてはいけません。皆も30年もたって疲れもみえますが、もう少し頑張りましょう」と締めくくりました。

 

 20()は、広島朝鮮学校から借りたマイクロバスで安野に向かいました。大学院生とか若い人もいて幅広さを感じます。

 

①安野発電所入り口からフィールドワークがスタート。ここより8Km上流の取水口から導通トンネルで太田川の水が引き込まれて65m下の発電タービンを回して川に還すシステムです。このトンネルを掘削する工事に360人の中国人と800人の朝鮮人徴用工が強制的に連れてこられたのです。中国人は4ケ所に収容所がありましたが、朝鮮人徴用工の実態は解明できていないとのこと。

 

 トンネルの出口にある、地域を展望できる貯水池に上り、そこで中国電力職員から安野発電所の概要を聞きました。

 

 また、香草収容所の監視員の息子、栗栖薫さんから当時の状況が語られました。「別の工区には10人ぐらいの若い朝鮮人が家族4人と働いていました。徴用工ではないかと思います。その後どうなったかは分かりません。一家族だけが今も在日しています。朝鮮人はダイナマイトでの発破作業や掘削をやり、中国人は湧水の中で石出しのトロッコ作業をしていました」と。

 

13時半から第12回追悼の集いが行われ、安芸太田町町長をはじめ、多くの来賓が参加し、皆で献花しました。

 

③今回来日された遺族が働かされた香草収容所と工事現場後に行き、栗栖さんの説明を聞きました。この近くにも朝鮮人の工事現場があったそうです。

 

 最後に、掘削で出た(中国人がトロッコで運んだ)大きな石で作られた法面を見て終わりました。

 

 

 

写真1.導水管左は戦後増設されたもの。右は斜路ではく戦前は直に落として発電。

 

2、碑(中電の土地)

 

3.中電の説明聞く

 

4、導水トンネル掘削で出た石の捨て場(当時)、その石で作られた擁壁